2014年06月24日
「服、家具のまち」 心斎橋、堀江
心斎橋やなんば、堀江といえば、大阪市の中でも多くのファッションブランドやテレビでよく取り上げられる飲食店が集まっている場所の一つである。
この地域で友人や恋人と休日を過ごす、そのためのコースを書いていく。
心斎橋から堀江にかけての周辺の地域で、迷ったとき地図を見るときの目印や待ち合わせ場所として、目印になりやすい場所をあげる。
①大丸心斎橋店
近畿が発祥の昔からある百貨店。有名ブランドが多く入っていて、上階にはレストラン街がある。無料の駐輪場もある。北館・南館に分かれているので、待ち合わせ場所にする場合は注意したい。
②御津公園(三角公園)
心斎橋と堀江の間にあるアメリカ村のランドマーク。三角公園と呼ばれ、地下鉄心斎橋駅から徒歩5分のところにある。
③戎橋(ひっかけ橋)
大阪で有名なグリコの看板の前にある橋。テレビの取材なども多く訪れ、観光地になっているため、昼間は人でにぎわっている。地下鉄なんば駅から徒歩5分のところにある。
心斎橋で買い物や食事を楽しむのに多くの店が集まっている場所が、心斎橋筋商店街である。大阪中央区にあるアーケード商店街で、長堀通から宗右衛門町通まで南北に580mつづいている。約180店が軒を連ね、平日は約6万人、休日には約12万人が買い物客として訪れる。18世紀半ばに「呉服屋松屋」(現在の大丸)が店を出し、そのころには商店がいくつも集まった買い物のまちが心斎橋周辺に形成されていた。その後、江戸期から大阪における小売の中心を担ってきた。明治・大正期には「東の銀座、西の心斎橋」と称された。現在も大阪では最もブランド力のある商店街であり、特にファッション関係では心斎橋に店を出すことがステータスとなると言われている。
堀江で多くの店が集まっているのが、オレンジストリートである。昔は立花通りと呼ばれ、アメリカ村の三角公園から一本南の筋を徒歩3分行ったところに位置する。カフェやブティック、雑貨、インポート家具、インテリアショップなどの店舗が全長約800mある通りの両側に並んでいる。ここは、家具屋筋として幕末のころから栄え、戦後の高度成長期には「家具のまち」として全国に知れ渡った。しかし、次第に市民の郊外への転居、郊外の大型家具店の登場で1990年代には人通りがほとんどない時期があった。その後、地下鉄「西大橋駅」が開業した平成9年ごろを転機に、再生を始めた。1992年ごろから「オレンジストリート」の愛称やフリーマーケット、ベストカップルコンテストなど若者向けの催しを始め、家具のまち堀江を呼びかけつづけ、おしゃれなカフェやファッションブランドが入ったことで、アメリカ村に訪れていた多くの若者を呼び込むことができた。
18世紀ごろより、商店街として栄えていた心斎橋と、若者の間の流行をつくってきたアメリカ村。その後、家具屋、ファッションブランドのお店を入れていくことで多くの若者を呼び込み、堀江が栄えることで、心斎橋から堀江までの一つのコースとしてめぐることができるようになった。
午前中からこの周辺で休日を過ごすには、多くの観光地や飲食店が並ぶ、心斎橋やなんば周辺で観光・昼食をすませ、午後からは服や家具の店とカフェが多くある堀江で過ごすと効率よく回ることができる。商店街からアメリカ村を通り、堀江まで徒歩で20分ほどで行くことができる。

「三角公園」

「ひっかけ橋」

「大丸」

2006年 心斎橋・堀江
出典:地図・空中写真閲覧サービス

1989年 心斎橋・堀江
出典:地図・空中写真閲覧サービス

大阪市 土地利用構想図
出典:大阪市基本計画 2006-2015

大阪市 都市計画図
出典:大阪市ホームページ 大阪市市政
地図はこちら
この地域で友人や恋人と休日を過ごす、そのためのコースを書いていく。
心斎橋から堀江にかけての周辺の地域で、迷ったとき地図を見るときの目印や待ち合わせ場所として、目印になりやすい場所をあげる。
①大丸心斎橋店
近畿が発祥の昔からある百貨店。有名ブランドが多く入っていて、上階にはレストラン街がある。無料の駐輪場もある。北館・南館に分かれているので、待ち合わせ場所にする場合は注意したい。
②御津公園(三角公園)
心斎橋と堀江の間にあるアメリカ村のランドマーク。三角公園と呼ばれ、地下鉄心斎橋駅から徒歩5分のところにある。
③戎橋(ひっかけ橋)
大阪で有名なグリコの看板の前にある橋。テレビの取材なども多く訪れ、観光地になっているため、昼間は人でにぎわっている。地下鉄なんば駅から徒歩5分のところにある。
心斎橋で買い物や食事を楽しむのに多くの店が集まっている場所が、心斎橋筋商店街である。大阪中央区にあるアーケード商店街で、長堀通から宗右衛門町通まで南北に580mつづいている。約180店が軒を連ね、平日は約6万人、休日には約12万人が買い物客として訪れる。18世紀半ばに「呉服屋松屋」(現在の大丸)が店を出し、そのころには商店がいくつも集まった買い物のまちが心斎橋周辺に形成されていた。その後、江戸期から大阪における小売の中心を担ってきた。明治・大正期には「東の銀座、西の心斎橋」と称された。現在も大阪では最もブランド力のある商店街であり、特にファッション関係では心斎橋に店を出すことがステータスとなると言われている。
堀江で多くの店が集まっているのが、オレンジストリートである。昔は立花通りと呼ばれ、アメリカ村の三角公園から一本南の筋を徒歩3分行ったところに位置する。カフェやブティック、雑貨、インポート家具、インテリアショップなどの店舗が全長約800mある通りの両側に並んでいる。ここは、家具屋筋として幕末のころから栄え、戦後の高度成長期には「家具のまち」として全国に知れ渡った。しかし、次第に市民の郊外への転居、郊外の大型家具店の登場で1990年代には人通りがほとんどない時期があった。その後、地下鉄「西大橋駅」が開業した平成9年ごろを転機に、再生を始めた。1992年ごろから「オレンジストリート」の愛称やフリーマーケット、ベストカップルコンテストなど若者向けの催しを始め、家具のまち堀江を呼びかけつづけ、おしゃれなカフェやファッションブランドが入ったことで、アメリカ村に訪れていた多くの若者を呼び込むことができた。
18世紀ごろより、商店街として栄えていた心斎橋と、若者の間の流行をつくってきたアメリカ村。その後、家具屋、ファッションブランドのお店を入れていくことで多くの若者を呼び込み、堀江が栄えることで、心斎橋から堀江までの一つのコースとしてめぐることができるようになった。
午前中からこの周辺で休日を過ごすには、多くの観光地や飲食店が並ぶ、心斎橋やなんば周辺で観光・昼食をすませ、午後からは服や家具の店とカフェが多くある堀江で過ごすと効率よく回ることができる。商店街からアメリカ村を通り、堀江まで徒歩で20分ほどで行くことができる。

「三角公園」

「ひっかけ橋」

「大丸」

2006年 心斎橋・堀江
出典:地図・空中写真閲覧サービス

1989年 心斎橋・堀江
出典:地図・空中写真閲覧サービス

大阪市 土地利用構想図
出典:大阪市基本計画 2006-2015

大阪市 都市計画図
出典:大阪市ホームページ 大阪市市政

Posted by りゅーいち at 11:21│Comments(0)